そう言われればそんな時期もあった

諸々整理をしていたらこのアカウントが発掘されて驚いた。7年前本当に自殺しようとしていた時のものだった。まあ自殺は常にしたがっていたけど、特に、の時期だった。

 

昔の記事を興味深く読んでいたが、幼かったなという感想にしかならない。

一点あげるとすれば、書いてあることはもう記憶にないということだ。

 

それは「つらかったことも後々考えればそこまでしんどくなかったよ~~」の方ではなくて、人間は非常につらかった時のことを忘却する生き物らしく完全に2年以上前の出来事がすっぽりと私の中から消え去っているという意味である。

 

過去記事をあげていたような「病んでいる時期」というのは生まれてから就職する直前まで続いたのだが、その時期は人生の最悪な出来事を大抵覚えていてすぐに年度順に話せるくらいには記憶の棚のすぐ取り出せるところに入っていた。

 

私の人生のターニングポイントはやはり、就職である。それは、幼少期から絶えず予想していたことであり、現実的にも就職は大きな要素であった。要素というかもはや第二の人生の始まりであった。

就職して1年も経たない頃、ある時、本当にふと、今まで20年以上付き合ってきた「自分」と今の自分が全くの別物であることに気が付いた。就職以前のことがよく思い出せなくなっていた。あんなに毎日反芻して死にたくてたまらなかったあの記憶達は無いし、毎分毎秒ずっと頭の中でぺちゃくちゃとどうでもいい話を延々と話していた子達も居なくなっていた。なんだかんだ驚いたのは、後者の、私の中に住んでいた4,5人の子達が居なくなっていたことである。

確かに居たはずなのだ、私の中に恐らく私と思われる、でも私に反抗してきたり悪いことを吹き込んできたり楽観的な甘言を囁いてきたり何にも言わずに無言で私を見つめてきたりする子達が居たはずだった。もう就職して2年以上経ってしまった私には、20年以上連れ添ったはずのその子達の感覚を思い出すことができないのだが。確かに居たのに、と思った記憶だけが強く残っている。

 

そう、すべてを失ったとも言う。

何も覚えていない。

私は、就職し自分で好きにできる金銭を手に入れたことでクソ親を無視することができるようになり、精神が安定した結果、

精神が不安定だった時期の「自分」をすべて失ったのだ

 

一緒にいてくれたらしい子達も消えた。

不思議なことだ、いわゆる解離、多重人格と自覚しているような人と似た脳の動きであったのだろうか、私はあの自分勝手にぺちゃくちゃと喋る子達を明確に自分と認識していたけど、恐らくあの子達を処理できないと「他人」と認識し解離のような状態になるのだろうか。

 

今でも落ち込むと光の速さで希死念慮が出てくるし、精神の弱さみたいなものはもう一生のものなのだろうと思う。

病んで忘れて病んで忘れてを繰り返す脳なのだろう。幼少期に心理的ストレスをかけてはいけないよ、こうなるから。

 

 

何が書きたいのかもよくわからない、思いついたことをつらつらと書いただけだ、ついったーと同じ。

ただ、私は一生親を怨むのだろう。

正直、上に書いたようにもう親の記憶がかなり怪しくて、1年前偶然実家の前を通りかかった際に実家を実家と認識できず「この辺日当たり良いな~こういうとこに住みたいよね~」だなんて独り言をつぶやきながらドライブしていたくらいである。真横を通り過ぎながら、あっここ………と気付き鳥肌が立ったくらいの記憶のあやふやさである。

 

自分のことを最大限信用しているから、過去の自分が一生会いたくない絶縁したいと思っていたのならばそうなのであろう、親には会うまい、という次元で生きている。

毒親からサバイブして、社会的・金銭的・精神的自立を得た最も幸せな状況でこれである。多分ずっと孤独で底知れぬ不安感と穴を感じながら、この先ずっと、寿命が来るまで生き続けることだろう。

毒親サバイブなんてするものじゃない。

さっさと死んでおけばよかった。