色々あって受験期を思い出してほろほろ泣いていたのでそのことを。
私の受験期は誰にも「頑張って」と言われない受験期でした。
「誰にも」というと語弊があって、国語の塾の先生はいつも「ほら!あんた京大行くんでしょ!」って感じでぺしっと叩いてくれてました。それがどうにもできないほど嬉しくて、感情が飽和してしまって、いつも泣いてしまっていました。
勿論他の先生も応援はしてくれていたと思います。
でも、数学の授業中も化学の授業中も(塾)、問題に向かえば自然に涙が出てきて、何も考えられなくなって、
今思えば完全な精神疾患ですよね。
だからかもしれないけど、あんまり私に濃く関わってこようという感じでは無くて。
皆が相談してた先生に相談しようかと思ったけど、あまりに自分の抱えているものが大きすぎて先生の負担になるだろうと考え、吐き口が無くなっていました。
受験生なのに一日の殆どを寝て過ごして(異常な眠気)、それで自己嫌悪してまた抑鬱のサイクルにはまってしまっていて、よく自殺しなかったな?と自分でも驚きです。
あの時自殺していれば今楽だったのかなとかは相変わらず考えます。
親も安定の親で。模試の当日に「志望校判定どこ書くの?」からの「いい加減現実味なさいよ!!!!!」で電車乗り遅れたのも思い出だし、
2次試験の当日だか前日に「どうせ受からないんだから」と笑顔で言い放ったのも未だに許せないことで。(どうせ受からないんだからそんな焦るなみたいな意味だった気がする)
でも、受験生に滑るとか言っちゃいけないっていうのは世間の受験生いじりネタだと思ってたくらいには、我が家ではそういったことに無頓着で。
「受験日にそんなこと言われたの?!それは許せない」って他の人に言われて初めて「おかしかったんだ」となる程度で
毒親という言葉で表すものなのか分からないけど、確かに家を出るまでの私は親の顔色ばかり見て心を殺して、結果精神疾患になったんだよな、という事実だけは残しておかないといけない気がします。
タイトルの「成長」とは、高校まで(家を出るまで?)人間の事を一切信用していなかったんですが、今ふと気付いたらそんな信念もなく。
じゃあみんな大好き信用してるよ!みたいな脳内ハッピー人間な訳でも無く、ただ裏切られても「そっかー」と思うようになっただけというか
人間に興味が無くなったんだなって思ったり。
でも人に好かれたいという執着は捨てきれないままで仕方ないお子ちゃまだなと思います。